菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜共生の共創・自分らしく生きる〜

神奈川県議会議員菅原直敏の議会報告のブログです。神奈川県大和市選出。無所属。社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、保育士。

グローバルな視点が政策運営に不可欠な理由〜昭和の政策からの脱却

日本の政治関係者の間でグローバル化の話をすると、そうだと熱心にうなずく人とアレルギー反応のように拒絶する人の二通りの反応があります。日本社会のグローバル化の是非は議論があると思いますが、どのような立ち位置に立つにせよ、「グローバルな視点」は常に持っておく必要があると考えます。なぜなら、今日本の抱えている多くの問題は国内問題というよりも、世界の潮流と密接に関わる問題だからです。

特に、「失われた20年」と呼ばれるバブル崩壊から今日に至るまで、政治は明らかに日本社会をミスリードしてきました。この一つの大きな理由が「グローバルな視点」を持っていなかった(あるいは敢えて持とうとしなかった)ことであると考えられます。

もっと端的に言えば、依然として昭和の成功体験に基づいた政策を続けて来たという事が大きな過ちであると考えます。

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以下の2つの市街化地図を見比べてください。これはマニラ南部30キロ内にある郊外都市サンタローサ市の1980年代と現在の市街化区域の変遷です。

●1980年代のサンタローサ市域

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●2012年のサンタローサ市域

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1980年代は緑ばかりの田園風景であったにもかかわらず、高々30年間で工業・商業地域と住宅地域が増えた事が一目瞭然です。1980年代は数万人だった人口が現在は30万人を超えました。毎年2万人ずつ増えています。

この写真を見て勘の良い人であれば気付いたかもしれませんが、これは日本の1960年代から1990年代にかけての郊外都市の変遷とすっかりリンクします。20年遅れで日本の高度経済成長期のような発展を遂げている事がわかります。

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この工業化された地域の資本の8割が外資であり、36.64%という圧倒的な出資比率を持っているのが日本企業です。企業名を挙げると、トヨタ、日産、本田、パナソニック等、日本を代表する企業が進出しています。

しかも、進出年度はトヨタが1989年と最も早く、その後本田が1992年、日産が1998年と続きます。産業の空洞化が叫ばれて久しいですが、トヨタについては既にバブル崩壊前に進出しています。

このような都市がアジア各国には無数に存在します。つまり、日本の製造業に関わる労働者が減っていくのは、世界経済の潮流からすると当然の結果なのです。これは日本一国の政策どうこうで防げる問題ではありません。以下詳述します。

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神奈川県議会でも多くの議員が訴えるのは、日本はものづくりの国であり、技術は世界トップクラスである。だから、産業の空洞化を阻止して企業を誘致すべきであるという論法です。

確かに分野によってはこのことは当てはまると思います。しかし、この論法には大きく2つの落とし穴があります。全ての製造業を一括りにしている点と、世界経済の動向を加味していない点です。

そもそも、日本の高度経済成長期を支えて来た自動車産業や家電産業は、1990年代においてはさほど高度な技術を要したわけでもなく、日本で製造しなければならない理由がどんどん減ってきています。つまり、大部分の行程において日本人が労働者として製造しなければならないことがなくなってしまったのです。例えば日産のマーチは全てタイで生産されており、純外国産の車となりました。

そうなれば、必然的に労働力の安いアジア諸国に工場が移るのは、企業の効率的運営の観点からは至って当たり前の事です。というよりも、それが世界経済の流れです。これは多少の法人税の上げ下げでどうにかなるようなものでもありません。

しかし、日本政府や自治体は、企業の海外進出=産業空洞化=悪という画一的な考え方の下、失われた20年の間も1980年代以前の産業政策を継続してきました。これは、世界経済というアマゾン川の流れに、手漕ぎボートで上流に向かっていくようなものです。

政府も自治体も未だに自動車産業主体の政策に固執した結果、ついにはエコカー減税等という補助金を入れなければ国内で成り立たない産業になってしまいました。補助金漬けで生きながらえている農業のようになったとも言えるかもしれません。

そして、経済政策として注力する分野を誤った為に、この20年間、国際的競争力を持って戦える新しい産業が日本には、国民を食べさせられる程、育っていません。

余談ですが、自動車産業の裾野が広いというものの、この産業に傾注しすぎるのは相当なリスクです。電気自動車が普及すれば家電のようにより企業の産業障壁は低くなり、あっという間に日本企業の優位性が失われる可能性もあるからです。

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そして、1980年代以前の産業政策を前提としていたため、日本の教育もそれに沿った人材を育成するままできました。さらには、世界の子ども達がグローバル化の流れの中でしのぎを削っている間に、「ゆとり教育」の名の下、世界の教育の流れに逆行するような人材育成を行うようになりました。

その結果、現在では就職先があるにも関わらず日本人が就職できないという状況がここ数年見られるようになりました。日本企業ですら外国人留学生を採用するようになったのです。これは少なくとも企業に就職するという点において、日本の教育の方向性に一部誤りがあったということに他なりません。

特に優秀な人材においては、国境を関係なく就職する事が当たり前になっているという「グローバルな視点」が政治にあったならば、この20年間で行うべきだった教育は違っていたと思います(特に日本を引っ張っていく優秀な人材については)。

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ビルゲイツの「Success is a lousy teacher. It seduces smart people into thinking they can't lose.(成功は最低の教師だ。出来る人をダメにしてしまう。)」という格言が思い出されます。

現在の政治を中心で動かしている人には色々な既得権が邪魔をするのかもしれませんが、もう昭和の成功体験を追いかける事をやめる時期だと考えます。放置した期間が長かったため、痛みも大きいかもしれませんが。